Wikipediaの寄付のお願いが鬱陶しいとかいう意見が散見されます。ごもっとも。

寄付を募る理由は運営費用ということだと思うのだけど(実際に確かめたわけではないです)あれだけの規模のサイトを運営し続けるにあたって、相応の予算が必要なのは当然のことです。広告でも貼れば良いじゃないかという人もおりますが、いったいどんな風に貼られるんでしょう。例えば、糞真面目な技術系のブログを自分ドメインで運用しているような人でも、画面のあらゆる所に広告が貼ってあるのも珍しくはないです。メニューとかのリンクと錯誤しやすいところに堂々と貼ってあります。これでユーザビリティ語られてもねえ?と思いながらも、載っている内容が有用なので良いです。

Wikipediaも広告を貼って文句が出ることも無いと思うのです。運用予算が無いから終わります、って無くなったらそれはそれで惜しい。でもでも、寄付という形でお金を払ってまで支える価値があるかというと、どうだろう。「年間100円払う人だけが見れるサイト」になったらどうだろう。100円払う?毎年支払いの手続きするの面倒だし、まとめて寄付で割引あります!10年分1000円を先払いで11年間見れます!とかだったら。…うーん…。あまりに当り前に存在しつづけるので、無くなったらどう困るのかもよくわからない。実際、年に一回見てないんじゃないか?とも思うし、金曜の夜に海外の見知らぬ自治体の情報を読んでいたりもする…。

Wikipediaにしか載っていない情報というものが、世の中にどれだけあるだろうか?もっと専門性の高く、実用的な情報に詳細なサイトがいっぱいある。本当に必要な情報が、「あーwikipediaにあった!」なんてことありますか?…無くは無いな。だから無くなっても良いんじゃない?とは言い切れないんだ。まさに、家の本棚に百科事典や辞書を置くかどうか、という話。そのまんまじゃないか。百科事典なら何か書いてあるかな?っていう情報にあたるのに、やはりwikipediaは便利だと思う。作品名、人名、地名、動植物の名前、地名、都市名。このあたりはググった場合にwikipadiaのページが最上位に来ることが多い。右上の枠に出ることもある。ざっくり「ふむふむ」と把握するのに有用なのは間違いない。

本来はwikiという仕組みについても語らないとダメなんだとは思うけど、めんどいし語るほど詳しくもないので省いて、結論。「無くなるには惜しい」って。

そこでね、富裕層にぶん投げては。ゲイツちゃん。wikipediaが人類の幸福に寄与すると思うなら、どうです?良心的な富豪が誰も助けを差し伸べないようだと、さいあく、孫正義あたりがしゃしゃり出てくる。そうなってから文句を言うぐらいなら、我々はwikipediaにお布施をするべきなんだろうか。wikipedia財団は自衛としてもっと経済的な余裕を持つべきかと思う。だったら広告ぐらいが、典型的な方策なんじゃないのかなあ。それでも「背に腹は代えられぬ」状況だとは思うのだが。

一応言っておきますと、wikipediaにそんな言葉は無いというオチです。ボナパルト。